南志賀学寮全焼

 
 昭和46年度の中一林間学校は、新設された本校南志賀学寮で実施されることになった。
その第1日目、開校式の直後、学寮はボイラー室の突然の発火によって全焼した。幸い、 中一177名、教職員、OB・現役助手には1名の負傷者もなかった。

ここに、将来このような非常事態発生の場合のとるべき措置の参考にと書かれた当時の 総務主任(谷口善三教諭)の詳細な記録を載せておく。 なお、この件に関しての記録には、現在までに「明治高校新聞」第133号、「PTA会報」第 24号があるが、総務主任の記録中脱落していると思われる箇所のみ、加筆、訂正をし、 この節をもって定稿としたい。
 
<南志賀学寮焼失に関する記録>
1. 中一は前日午後10時、バス4台に分乗して本校を出発し、22日午前6時学寮に到着した。
A組はすぐに七味ロッジ(各組とも1泊する)に行き、BC組は学寮にはいった。仮眠後、昼食、全組が学寮に集合して、1時から開校式、2時50分に式が終了した。
生徒は午後3時まで 学寮内にあったが、A・Bの二学級は3時丁度雷滝方面へのフィールド・ワークに出発し、次い でC組は学寮斜面下約百メートルの所にあるキャンプ場設営のため、3時50分、学寮を退去 した。(当日はかなりの雨が降っていた)
 
2. 携帯品については、A組は既に同夜宿泊予定になっていた七味ロッジに残留し、B組は 学寮の2階に残置していた。C組は予め携帯品をキャンプ場に携行するよう指示されたが、 学寮一階の廊下付近に残してきた者もあった。
 
3. 発火時、学寮内に在った者は教員としては中野隆彰生徒指導主任、山口栄蔵生徒会 担当主任、藤森清茂中一学年主任、吾妻キヨ養護教諭の4名で二階の一室で会議中であ った。
教員以外には管理人として藤沢浩、よし子夫妻、の他、山長、冨士観光社員浜辺嗣雄 氏がいた。A組担任境田啓一、B組担任桜井正美、C組担任田村晴彦は夫々の学級に助手 とともに付添っていた。
 
4. 3時20分頃、突然非常警報ベルが鳴り、次いで爆発音が2、3度聞こえた。
先ず中野、 山口が、次いで藤森、吾妻、浜辺が駈け降り、裏へ消火器をもって走った。
このころ、キャンプ 場でC組に付添っていた田村は、「火事です!」との手伝いの女の人の声が風にのって微か に聞こえたので確認の為キャンプ場から駈けあがった。ボイラー室から煙が出ていた。
キャンプ場で生徒指導中の松枝正弘は田村に知らされ黒煙ののぼるのを見て、助手を率いて 駈け上がって来た。中には、そばにあったビニールホースを持って来た者もいた。
 
5. 教員がボイラー室に到着した時は既にそこは一面の炎に包まれていた。
消火器や、窓ガ ラスを破って差し込んだ消火ホースも更に効果はなく、加えて火熱により水道管が溶解し水 も出なくなった。同時に朦々たる黒煙が室の区切りの約十センチの間隔より二階に這い上り また炎は洗面所方面に拡がりつつあった。
中野は赤ん坊を背負った藤沢夫人に退去を命じ た。教員は集って来た助手を把握して消火に当ったが如何にせん、火災は拡がるばかりで、 口と鼻は手拭で覆っていたが黒煙が眼に浸み、眼が見えなくなった。
  ―中略―
7. この頃火災は洗面所を舐め尽くし、一階全体に及んで来た。
時々風向きによって黒煙の 為か炎の勢が薄れるがその間を見計らって、藤森が冷静に判断、松枝の号令一下、教員、 助手が一斉に屋内に踏込み、手当たり次第、荷物を放り出し、炎が強くなると共に退き、直ち に人員点呼を行ない、異状なきを確認し合い、また火勢が弱まると同時に屋内に入り荷物を 取出した。
外に集まったC組生徒は、投げ出された荷物を寮から更に遠のけるためリレー式 に運んだ。
繰返すこと数度、その内、炎の範囲は益々拡がり、その勢いは愈々すさまじく、到底 屋内に入り込むことが不可能な状態にまでなった。搬出された生徒携帯品は140点余りである。
 
8. この頃までにサイレンを聞き、駈け付けた地元消防団は放水を行なうと共に管理人室や 厨房付近の厨房品、蒲団、食卓などの搬出を開始した教員・助手に積極的に協力を惜しま なかった。
 
9. 現場付近に在ったC組生徒の内には荷物を取り出そうとして学寮近くに接近しかけた者 が2・3名いたが之を鋭く叱咤し退去させて辛うじて事なきを得た。
その後C組は精神に及ぼす 影響を考慮し、煙火の見えない地点に移動させられた。更に、七味ロッジへ向かうことになった。
  ―中略―
11. 学校長福島則雄は同刻、例年通り、林間学校の視察ならびに生徒に講話を行なう目的 を以って出張し、須坂よりハイヤーに乗り、七味ロッジ付近にさしかかっていた。
偶々、本校 本校生徒の一集団が路傍に停止しているのを発見し、接近したところ、付添いの助手より学 寮の火災を耳打され、急遽学寮へと車を急がせた。(火災を知ったA・B担任は、それぞれの 助手に命じてその地点に一時停止させ、学寮にはつとめて接近しないようにした)
学寮付近 は既に非常線が張られていた。学寮近くで学校への電話連絡に走る中野・藤森両教諭より 火災報告と、人身事故のない事実を確認した上、現場に到着した。時に4時丁度であり、 もはや学寮は八分通り焼失していた。
  ―中略―
17. 地元では明高中学寮火災対策本部を山田牧場事務所内に開設し、搬出された什器 備品を牧場組合の倉庫に保管するなど最大の善意と援助を示した。
  ―中略―
20. 学校長は鎮火を見届けた上、関係諸方面への挨拶を済ませた後、教員を伴い七味ロッジ に入り、ここを本拠とした。
今後の処理対策を講ずるため現地会議を開き、次の如く決定を下し、 電話連絡を以って学校の留守担当者に必要措置を執るように命令した。

(a)明23日を以って今回の林間学校を打切る。
(b)万難を排して生徒の還送に必要なバス4台を早急に手配し、明朝8時までに現地に集結させること。
(c)PTA会長に次の措置をとるよう要請する。
 T 明後日7月24日午後1時PTA緊急実行委員会を、同じく午後3時臨時総会を召集すること。
    席上学校長は火災についての陳謝と状況報告を行う。その開催場所を選定し、
    各委員各会員に通報すること。
 U 当面の資金として、小銭を含め金100万円を携行し、且つ田中中一学年委員長の同行を
    求めること。なお臼井書記には学寮建設図・学校長印鑑・学校長名刺などを携行させ会長に
    同行し、速やかに現地に到着するよう指示する。
(d)保坂教頭には次の措置をとるよう指示する。
 T 留守担当者の中核として、教務主任・総務主任などと協議して、残留教職員を一致団結させ、
    校内諸施設の措置を計画・実施し、遺憾なきを期すこと。
 U 中一生徒の家族に対する配慮に関してはPTA役員と協議して善処すること。
 V 学寮焼失について関係各方面への連絡を密にすること。
 W 全教職員に学寮の焼失と、7月24日午前9時の臨時職員会議の開催を至急連絡すること。
  ―中略―
24. 生徒が申告した被害届を集約し、須坂警察が査定した焼失被害は次の通りである。
学寮2階に携帯品を残置したB組が最も被害が多く、1階に残置したC組が之に次ぎ、 七味ロッジに宿泊する予定で既に携帯品を七味ロッジに残しているA組に当然被害はない。

(a) 現金   33名   46,680円
(b) 衣料  324点  496,000円
(c) 物品  241点  170,000円
(d) 定期券  15名   27,200円 計         759,880円

現金を焼失した生徒に対しては23日の昼食費として250円、同じく帰校後学校より自宅迄 の交通費として250円、計500円を支給した。
  ―中略―
  現地には学校長を始め、中野、松枝、山口の三教諭の指揮する助手15名とPTA会長中一 学年委員長・事務長・臼井書記・午後到着した古庄副会長・柴田南志賀運営委員長・会計 飯島・大学管財よりの山田設計技師・木内保険担当書記が残留し、地元消防団の協力を得て 焼跡整理や、諸般の折衝や処理に忙殺された。(NHK、毎日新聞などの取材には学校長 が応対した)
  ―中略―
27. 学校長の要求に応じて長野県警、須坂警察署、両鑑識課及び両刑事課の合同捜査は 現場検証訊問を含む公開捜査の形式を執り、学校長・北村建装・藤沢管理人などは午前10 時から午後4時の間、綿密な調査と俊厳な訊問を受けた。その結果次の結論が下された。

(a) 出火時刻 昭和46年7月22日午後3時20分頃
(b) 出火場所 ボイラー室
(c) 出火源  ボイラー
(d) 出火原因 巴ボイラーのオイル・コントローラー(給油調整装置)の故障に基くと推定される。
   但し溶解後であるので立証は不可能である。
(e) 学寮管理人、藤沢浩の点火作業の失敗は認められない。
(f) ボイラーは昨年11月、学寮竣工後故障が相継ぎ、その都度修理された。
   出火時点におけるボイラーの故障は推察されるところである。然しボイラー設置ならびに 修理工事、    責任者である北村建装、及びその下請工事業者の刑事責任を追求すべき立証は不可能である。
(g) 以上如何なる個人の刑事責任も、取扱い上の失態も立証し難い。
   出火の原因は不可抗力によるものと断定する。

学校長と長野県警刑事部長と須坂刑事部長との対談のうち「巴ボイラーの度重なる故障から判断して、取付けか、或いは修理に欠陥がある。業者の業務上の過失ではあるまいか」と 非公式な言及があった。なお、この公開捜査には学校長以外に教職員、PTA役員が立合って その結論を聴いた。
 
28. 警察当局の捜査が終了し、学校長は各方面から寄せられたお見舞いに対して、また 消火・搬出・炊出しに協力を得た地元の村役場消防団・農協を始めとして関係諸機関に対し 一々感謝のお礼言上のため歴訪した。(各方面より見舞金約10万円、清酒一斗三升の寄贈 があった)
  ―中略―
30. 現地にはなお事後処理の必要上、松枝教諭・臼井書記以下15名の助手とPTA側より 古庄副会長と柴田南志賀運営委員長が残留した。(古庄・柴田は24日午後、松枝・臼井以下 助手は27日帰校)
  ―中略―
33. 学校長の提出した進退伺いについては、警察の調査によっても出火の責任は学校長にはない。
理事会が差戻すよう、PTA会長同実行委員会同学年学級委員会の名に於て、法人理事長に請願書を提出する動議が全員一致で可決され、直ちにその措置がとられた。
  ―中略―
35. 午後3時40分よりPTA臨時総会が大学95番教室で開催された。内容は下の通りである。

(a) PTA会長挨拶、並びに火災現場視察報告、出火事のPTA実行委員の執った応急措置報告。
(b) 学校長挨拶。火災報告、事後措置の詳細報告など緊急実行委員会に於ける発言内容とほぼ
   同様の説明。
(c) 学寮再建に就ての質問がありPTA会長は前述の学校長の意向を発表し、且つ緊急実行委員会が
   全会一致で要望した「状況の許す限り再建の方向に進め度い」という意志表示を紹介して拍手を浴
   びた。
(d) 席上「実行委員会は再建の方向に積極的に努力せよ」と鼓舞激励する意見が述べられた。
(e) 総会の名に於ても学校長の進退伺いを差戻すよう、理事会に請願すべきであるとの意見が起った。
(f) 総会継続中、理事会は学校長の進退伺いを差戻し、罹災生徒の補償として法人理事会が50万円を
  支出することを決定した旨の発表があった。
  ―中略―
<留守担当者の措置>
  1.7月22日午後4時頃、現地の中野教諭より電話で火災の第一報が入り、臼井書記が聞く。
2.内容は「3時20分頃、ボイラー室より出火、目下延焼中、生徒助手教職員何れも無事」である。
3.臼井書記は偶々林間学校慰問準備のため来校中であったPTA会長渡辺栄哉とPTA南志賀学寮
  運営委員長(兼PTA監査)柴田一之に報告、治・間中両書記補は直ちに残留スタッフ、 保坂教頭・
  野呂教務主任・谷口総務主任、及び事務長宅に電話連絡。
4.PTA会長は即刻全PTA実行委員を学校に召集する手段を講じる。
5.5時20分、第二報はいる。「学寮は全焼した。学校長は午後4時到着、現在、現場で指揮をとりつつ
  ある。一応の処理が済み次第、学校長は留守担当教職員ならびにPTA役員に、 必要な指示伝達を
  行う筈である。待機せよ。」
  ―中略―
  9.PTA役員とスタッフの協議の結果、中一生徒の家庭連絡は報道機関よりも早く、また 一軒の落ちも
  ないように図り、無用の憂慮を生じしめないようにとの観点から、この際に限って 学校が規定している
  方法に依らず各学級の出席番号の端数の生徒の父兄に依頼し、残り 9名宛に電話連絡を依頼する
  ことを決定し、全実行委員がこの作業を分担した(午後8時30分開始)
  ―中略―
  11.全中一生徒の家庭が一軒の洩れも無く電話連絡が完了した時刻は午後10時近くであった。
12.中一生徒の家庭への電話連絡文は簡潔を旨とした。「命じ中学校の南志賀学寮が全焼しました。
   幸い中一の生徒は全員無事です。B・Cの学級には荷物を焼かれた者がいます。
   生徒は明朝8時30分にバスで現地から帰ります。帰校は夕方の予定です。
  ―中略―
  39.留守担当責任者保坂教頭と藤森学年主任の訓示があり、林間学校の終焉が宣せられた。
   PTA女子役員や女子職員から冷牛乳が配られた後で、更に各担任の諸注意伝達が行われている間
   に、改めて保坂教頭より父兄に対し学寮の焼失と生徒携帯品に損害を及ぼしたことに ついて陳謝が
   なされ、また、PTA臨時総会への出席を要請した。次いで藤森学年主任より 詳細に旦る火災報告が
   行なわれた。
40.中一生徒・父兄が下校を終えた後、受入れ側の教職員とPTA役員は会議室に集合し、 夕食を共に
    し、引率教員の労を犒らい、またその体験談を拝聴した。午後8時散会。
 
<補償について>
7月24日(土)午後3時から明大95番教室で開かれたPTA臨時総会の席上、福島校長は 被害生徒に対し全額補償したい、また法人より補償として50万円が支出される旨発表した。 父兄からは辞退の意志表明があったが、結局、7月26日(月)雨の中、本校第一会議室で 中一父兄協議の結果、補償について次の様に決定した。
 
  1.制服(Yシャツ)と制帽を現物補償とし、夏ズボンは成長期であるので2,700円の現金 補償とする。
2.体育服は現物補償とする。
3.その他については、担任の調査資料をもとに、A(9000円)B(5000円)C(1500円) の段階に分け
   て現金補償とする。
   この線にそって、1.については7月29日・30日の午前中に、2・3については9月30日迄 に実施
   完了した。
 
*本内容は、明治大学付属明治高等学校・中学校「六十年の歩み」より抜粋して引用させていただきました。