大正14年頃から、主として、教練、体育担当の教員から校歌のメロディー改定の提案が出されていた。その訳は、学校教練が開始され生徒が行軍などをする機会もできてきたので、行進に合わせても歌えるように改曲したら如何かということであった。
教員の間にもいろいろ異議もあったが、結局、従来までの壮重で静かなメロディを儀式等に歌うことにして、行進、応援等に際して歌えるような軽快なメロディも併せて創ることにして、その作曲を明治大学音学部に依頼することになった。
学校日誌によると、昭和2年1月21日明治大学より指導者来校して、初めてこれを発表、同時に全生徒に指導して歌わしめた。
こうして改曲された校歌ができた次第であるが、当時本校では、他の男子中等学校同様音楽の教科がなく、音楽担当の教員もいないままに、歌われる機会が多い改曲されたほうのメロディだけが定着してしまい、本来のものはいつしか忘れられ昭和20年敗戦に至るまで歌われてきた。
本校卒業生の間に、時代を画して3通りの校歌の思い出があるのは以上のような次第によるものである。
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